故人の魂は、その人の遺体(遺骨)や墓に宿り続ける
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2019/5/17

近代になる前、特に中世の日本では、現代に比べ「故人の魂は、その人の遺体(遺骨)や墓に宿り続ける」という考えは少なかった。しかし一方では、この時期は、死者の魂は一時的にではあるが、遺体や墓に滞在することもある、と考えられるようになった時期でもある。

そして、死者の魂が彼や彼女の遺体・遺骨に戻ってくる場合、特に頭部(頭蓋骨)に宿るとされた。

ポイントとなってきたのは「その人の魂がどこに宿るのか」という考え方

つまり当時は、「死者の魂は、遺体遺骨や墓を離れずこの世に留まり続ける」というイメージは、ほとんどなかったと推定される。そして、「例え遺体遺骨や墓に魂が戻ってくる場合でも、死の直後、一度は死者の魂はそこから去ってしまう」と信じられていたようである。

実は、こうした信仰と前近代の支配者層に一部存在した「散骨」志向は、密接に結び付いている。もう少し具体的にいうと、前近代に支配者層の一部で散骨を希望した人物がいたのは、魂が抜けた後の自分の遺体遺骨や墓に、悪霊が宿ることを防ぐためであった。魂が抜けた後の遺体遺骨や墓には、その遺体や墓の主である死者の魂だけでなく、悪霊(恨みを残した死者の魂など)が宿る可能性もあると、信じられていたのである。

840年に亡くなった淳和天皇は散骨を希望し、実際に叶えられた

例えば、840年に亡くなった淳和天皇は、自分の死後は葬儀・法要は質素にすること、そして自分の遺体は火葬し、墓を建てず散骨することを命じた。そして最終的に、彼はその通りに葬られたわけだが、天皇が散骨を強く望んだのは、「死後、人の魂は天に帰るため、遺体遺骨や墓は“空っぽ”になる」という信仰のためであった。そしてそうなった際、自分の遺体や墓に、悪霊が宿らないようにするためであった。

更にいえば、淳和天皇が自分の葬儀などを質素にすることを命じたのも、倹約や庶民に負担を強いないためというよりは、死者の魂は死の直後に死後の世界に入るとする信仰のため、という点が大きいだろう。

淳和天皇以外にも同様の考え方の持ち主はそれ以降もいた

こうした死生観の持ち主は、淳和天皇に限らなかったようである。1011年、公家の藤原行成は、彼の母及び母方祖父の遺体を火葬し、鴨川に散骨している。行成の母と母方祖父は、16年前の995年に亡くなり、霊廟に安置され恐らくミイラ化していた。これは行成の母方祖父が、娘(行成にとっては母)の遺体を火葬することを嫌ったからである(なお、この理由も謎である)。

このことで、行成が母や祖父に不孝をしたと非難されることは、なかったようである。彼が母と祖父の遺体を火葬・散骨したのも、肉親の遺体に悪霊が宿ることを防ぐためであった可能性が高く、周囲の人々も、それをよく理解していたのではないかと考えられる。

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