海や大地に撒く「散骨」
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2020/8/12

自分が死ねば後はどうなるか、それを見届けることもできないわけだから、死後に自分の遺体がどう処理されようと一向に構わない。

生きている間は、あり余るほどのモノに囲まれ、人間関係のしがらみにも縛られてきたので、死ぬときぐらいはあっさりと逝きたい。

戒名に高いお金を払ったりする仏教式葬儀は、国際化している現代の日本社会ではそぐわないものになりつつある。

どれだけ簡略化しても、なんだかんだで総額100万以上はかかってしまう。

できるだけリ-ズナブルに済ませたい場合は、火葬されたお骨を細かく砕いて遺灰にし、海や大地に撒く「散骨」というやり方がある。

いわゆる自然のなかに還して葬ることから「自然葬」という枠組みの一つとしてとらえられている。

世界的な著名人でも、本人の希望で「散骨」で弔われていて、アインシュタインやジョージ・ハリスン、ジャック・マイヨール、周恩来など、枚挙にいとまがない。

日本では「散骨」は違法だと思われがちであるが、法務省の見解では「葬送のひとつとして節度をもっておこなわれる限り、遺骨遺棄罪には当たらない」とある。

「散骨」というスタイルは日本ではまだまだメジャーではないが、お墓にお金をかけたくないという人や、遺体を自然に還すことに抵抗がない人が増えれば、新たな弔い方のひとつとしてこの国でも徐々に認知されていくのではないかと思っている。

知人でペット供養を職業にしている者がいる。彼が遺骨(人間)の加工に関して次のような見解を述べていた。”セラミック化するなど再処理・加工された遺骨は墓埋法の規制の対象外である。従って、加工後の使用・設置・販売・譲渡・廃棄に至るまで、何ら法の制限を受けるものではない”。彼はこの点から某かのビジネスに結びつけたいようであるが、この法解釈をどのように思うか」

私「現時点においては身勝手な解釈だと私は思います。確かに墓埋法は遺骨の再加工及び加工品の取り扱いについて定めてはいませんし、私も『散骨の法的課題』の中などで”認識できない状態に加工された遺骨は法的制限を受けないのだろうか?”と問題提起をしたこともあります。しかし、これは墓埋法の各条について時代に即しさらに的確に明文化するべきだという問題提起であって、実は墓埋法全体を見ればこの問題にはごく妥当な解が存在していることは明らかです。

というのも、墓埋法に限らずあらゆる法律は、それを扱う際にその各条の文言をただ読んで物事の可否を判断するべきようなものではなく、その法律全体の制定目的を大前提とし、その趣旨に沿った解釈を行わなければならないからです。墓埋法で言えば第一条にある『…国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われること…』という目的を無視して、以下の各条を解釈してはいけないのです。

例えば、遺骨をセラミック加工したオブジェを作ったとしましょう。現在の日本において、その加工を経たオブジェを手に取って、”これは単に加工物であって、元が人骨であったことに特段の意味を感じることはない”とどれほどの人が言うでしょうか。これが現在の日本において大多数であればそのペット供養屋氏の解釈も誤りとは言えませんが、現にそう言える段階ではないでしょう。このことから、単に墓埋法が遺骨の加工物についてなんらの規制を設けていないからといって、加工物を直ちに祭祀の対象物ではないと見なし無秩序に扱うことは、まだ現在の日本においては妥当だとは言えません。

散骨の解釈についても同様の問題があります。現在は単に刑法における遺骨遺棄に該当するかという観点からのみ評価され、墓埋法には明文化されていないから抵触しないという解釈が主流となっています。しかし墓埋法の趣旨を尊重して解釈するならば、例えば現状のように撒かれる側の国民がそれを妥当であると間違いなく理解できるような制度化が伴わない状況の中で、単に撒く者が刑事罰に問われないからといってそれを強行することは、墓埋法の、ひいては社会における法律そのものの意義目的を軽視した解釈であると言うこともできるでしょう。

こういったことから、私は現段階における散骨についても積極的に支持していません(お客様が希望するなら問題点を説明した上で自分の責任で判断してもらっています)し、ましてやそのペット供養屋氏は自己のビジネスにおける利益を目的としてそのような解釈をしているのであれば、なおのこと肯定できるものではありません。私はこう思いますが、いかがでしょう?

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